ART Critics | 20221209




 私、南壽イサムは映画THE FIRST SLAM DUNKを只今観てきまして、あまりの感動に 自転車立ち漕ぎで帰ってきたところです。新たに明かされるキャラクターの内面と過去、それらを軸に進む試合運びは完璧としか言いようがなく、漫画の焼き増しではない映画で しか表現し得ない感動がありました。

 そして、それと同時に頭に浮かぶ作品がありました。それは私が勝手にスラムダンクに並び立つ、なんならそれ以上だ!と勝手に吹聴している同じく週間少年ジャンプで連載していた『ハイキュー!!』︎ です。

 この2作は共に高校でスポーツ部活に打ち込む若者たちの成長と挑戦を描いた所謂スポ魂 漫画の二大巨頭で、どちらが上かなんて話題は瑣末なことは百も承知なのですが、以前より私は『ハイキュー!!』の︎方が“ある点”において優れており、しかしその点がスポーツ漫画にとっては何よりも大事なことだからこそ『ハイキュー!!』の︎方が上手だと思っていました。が!それは今夜限りのことであって、映画『THE FIRST SLAM DUNK』の登場によりスラムダンク自体もその“ある点”を獲得しました。

 その“ある点”とは「スポーツと人生の関係」です。これまで多くの漫画では試合の勝敗 にフォーカスが行き、その刹那の快感を描く事が多いのでした。勝ち負けが決まるスポーツの世界を題材にしているのだからそうならざるおえないし、そうあるべきなのです。それらを描く面白い漫画が名作揃いなのは間違いないのですが、最高の“スポーツ漫画”という点においては中々そうは行きません。その条件とはスポーツが人生に与えるエフェクトを描かれているかです。


ハイキュー!!の︎ 射程は無限大!未来に繋ぐスポーツの楽しさ!


 『ハイキュー!!』の︎凄さの根幹はこれまであまり他の漫画では描かれてこなかった、部活からの卒業後の未来の描き方にあります。 

  登場人物たちはどれも曲者揃いで魅力的なキャラばかり。しかし、物語終盤大きく時間が飛び社会人となって登場した際、彼ら全てがバレーボール選手になれるわけではないし、増してやそれ一本で食えるわけでもない。教師になったり警察になったりとバレーとは関係のない職に就くのが大多数だと言うある種の現実が描かれます。つまり彼らは部活でスポーツの真剣勝負から身を引のです。

 当たり前の事なのですが、これは今までのスポ魂ではフォローできていなかった部分で した。『ハイキュー!!』で︎は登場人物らは良い意味でバレーという真剣勝負の場から身を引き、 バレーを通して得た経験と自信を胸にそれぞれの道を志す。なんなら、バレーをしていたことによって大きく未来への視界が開けたからこその道であり、それこそが次の真剣勝負の場になるのです。

 この様に『ハイキュー!!』で︎はキャラクターたちの卒業後を描き、スポーツで打ち込んだ時間の価値を提示してくれ、一瞬でも「やったいた」と思える時点でスポーツは既にその人の人生にとって価値を得るのだと教えてくれます。


吐くな!吐いたらそこで試合終了ですよ。THE FIRST SLAM DUNKの美学。


 私は中学時代バスケットボール部に所属しており、それは厳しい指導がされていました。ギリギリ体罰的な指導もあった時代で、特に夏場の練習は一日に何度も嘔吐する日があったほどです。今思うと訴えたら勝てんじゃないか?と思うのですがとにかくその様に 旧態依然とした部活チームに所属していました。その時の顧問の先生はどうも私が嘔吐し ていることが満足気でした。「フラフラだな!笑」だとか軽い口調で言って笑っており全くもって腹立たしかったです。しかしこれはその人がというよりも長く蔓延していた日本に おけるスポーツ教育の間違いでしかないのでした。水が飲めないに代表される様な「シゴキに耐えることが有益である」という古い思想で、嘔吐はそれの象徴なのでした。

 原作時点でのスラムダンクは時代もありその精神性は表立ってはないにしろ受け継がれていました。バスケット経験の少ない魚住は厳しい練習中何度も吐くという痛々しいシー ンに代表される様な、所々今では考えにくい描写が多く古さが垣間見えました。

 しかし今回の『THE FIRST SLAM DUNK』では逆にその嘔吐描写で井上先生自らが昔とは違う!という意志を表明します。

 今作は主人公が桜木花道から、ガードの宮城リョータへと変更されており、彼の視点で物語が進行します。ガードは全てのプレーの起点となるのでなるほど納得の調整でした。更にそこから原作には無い宮城の幼い頃に父と尊敬する兄を無くしているという過去が明かされます。剽軽な彼は実は小心者で終始兄から教わった強がりを続けていたのだと明かされます。その彼にプレッシャーに押しつぶされそうになった時に何度も押し寄せてくる のが吐き気なのです。しかし彼はそれをグッと抑えて吐き出そうとはしません。彼を支える兄直伝の美学は“恐怖に立ち向かい強がれ”だからです。嘔吐という古い思想の象徴を押し平気な顔で挑むことが大切なのだという今の井上先生からのセルフアンサーなのです。 劇中一度も吐瀉物は登場することはなく、原作では登ってきたモノを三井が飲み込むというシーンも今作では顔を写さず出来るだけ抑えた表現にしています。

 宮城はバスケットを自己実現の場として兄の美学を背負い貫き通し母との不和を解消します。それ自体も恐怖に立ち向かった結果があるのです。この描き方を持ってスラムダンクは面白いバスケ漫画ではなく、最高のスポーツ漫画となったのでした。

©︎南壽イサム


 



 南壽イサム





武蔵野美術大学彫刻学科2019年卒業。
中学生時代強がりで見始めたホラー映画に魅了され以降、それらを中心とした藝術、創作、ライター活動を行なっている。








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