ART Critics | 20221209




“눈에 보이는 세계는 하나의 환영이다. 아니, 보다 정확하게 말하자면 궤변이다. 거울과 부권(父權)은 가증스러운 것이다. 그것들은 눈에 보이는 세계를 증식시키고, 분명하게 그런 사실을 보여주기 때문이다. (目に見える世界は一つの幻影である。いや、より正確にいうならば詭弁だ。鏡と父権は厄介なものだ。彼らは目に見える世界を増殖させ、明確にそうした事実を示すからである。※筆者訳)」


 ソウルの中心部、을지로(乙支路)は再開発地域の中心である。近年は、20代を中心に’힙지로(hipと乙支路を掛け合わせた造語「hip-支路」)’とも呼ばれ、アンダーグラウンドな街雰囲気の雑居ビル街の中に、小規模でスタイリッシュなバーやレコードショップが点在するエリアである。オルタナティブ・スペース을지로 오브(Euljiro_OF)は、乙支路の個人経営の小さな鉄鋼工場が並ぶエリアのビルの屋上にある。

 ここで簡単に韓国のオルタナティブスペースの変遷を辿ってみる。韓国初のオルタナティブ・スペースは、1999年ソウル西部の홍대(弘大)エリアに誕生した대안공간(代案空間)LOOPであり、2000年にかけて有名スペースが相次いで誕生した。これらは韓国のオルタナティブ・第1世代と呼ばれ、特に「대안공간(代案空間)」と呼ばれる。

 一方Euljiro_OFは、リーマンショック以降、2010年前後から誕生し始めた「신생공간(新生空間)」と呼ばれるジャンルにカテゴライズされるだろう。新生空間は、韓国における第2(-2.5)世代オルタナティブスペースであるが、彼らの空間運営方法は、第1世代とは異なる。まず大きな特徴のうちの一つとして、「期待減少世代」と呼ばれる若い作家たちが、小規模でも自力でカバーできる範囲で、自分たちの芸術活動を継続することに主眼を置いていることが挙げられる1。こうした背景から、接近性は、新生空間の一つの大きな特徴といえるだろう。彼らは、1:多数の観客という費用対効果とスペクタクル性が高い資本主義的な芸術構造とは対照的に、1:1の接近性の高い鑑賞体験を重視している。

 さて、乙支路には、N/Aや중간지점(中間地点)をはじめとする新生空間が点在するが、中でも筆者がEuljiro_OFの活動に注目する理由の一つはやはりその特徴的な運営スタイルだ。一般に、オルタナティブ・スペースの運営は「非営利」であるため、入場料は無料のスペースがほとんどである。しかし、Euljiro_OFでは5,000ウォン(500円)程度の少額の入場料制を採用することで、観客との接近性の高さを維持している。5000ウォンの支払いを済ませると、受付にいるスタッフに「展示や作品のコンセプトをお聞きになりますか?」と尋ねられる。Euljiro_OFでは、スタッフが直接観客にコンセプトを説明しながら、3つの展示室をともに回るシステムである。

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 筆者は今年9月、およそ2年ぶりにソウルを訪れた。小規模アートスペースの運営は、新型コロナウイルス感染拡大に伴う措置に影響を受けやすいのではないかと心配していたが、筆者が想像していたよりも大きな変化はなかった(乙支路の新生空間가삼지로을(gasamrojieul)2が今年2月に運営を終了したことは非常に残念であったが...)。

 今年9月17日から10月16日までのおよそ1ヶ月間、Euljiro_OFでは展覧会”픽션들 Ficciones(日本語対訳「フィクションたち」)”が開催された。この展覧会は、남다현(ナムダヒョン)、남소연(ナムソヨン)、이영(イヨン)の、3人のアーティストが参加しており、展覧会タイトルは、アルゼンチン出身の作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスの代表的短編集から採用されている(邦題は『伝奇集』)。

 階段を使って雑居ビルの屋上に上っていくと、屋外のスペースで、남다현(ナムダヒョン)の作品が目に入ってきた。’coupang’は、「韓国のAmazon」を目指す最近人気のECサイトだ。脇には、紙コップに捨てられたタバコと金融ローンの名刺が落ちている。いずれも、ソウルの路上でよく見かけるが、これらは全てナムダヒョンが作り出したフィクションだ。


筆者撮影

 Euljiro_OFには、大きく分けて3つの展示室がある。5000ウォンの支払いを済ませると、受付にいるスタッフに「展示や作品のコンセプトをお聞きになりますか?」と尋ねられる。今回の展覧会に限らずEuljiro_OFでは、スタッフが直接観客にコンセプトを説明しながら、3つの展示室をともに回るシステムである。こうした接近性の高い鑑賞体験に加え、再開発地域に位置しているという場所への強い意識もまた新生空間の特徴であると筆者は考える。今回の展示では、そうした特徴が全面に出ているように感じられた。

 ナムダヒョンのOF-#1は、ローカルな雰囲気のフィクションの不動産屋の中に、仮想不動産取引サイトにつながるPCが設置されたインスタレーション作品だ。サイトの中では、時に「天文学的」とも形容されるほどに高額なソウルの地価のレートを反映した売買価格の星を取引する過程を体験することができる。この作品には、複数のフィクションが重なっている。展示室の中に作られたフィクションの不動産屋であるという点。そして、韓国の検索サイトNaverの不動産検索ページをパロディ化した、実際の土地ではなく星を取引するwebサイトというフィクションだ。収まるところを知らないソウルの地価の高騰により、もはや若いアーティストには、ソウルで家を購入することは不可能に近い。そうした現状を、おそらく実際には訪れることができない星を購入する行為に置き換える試みだ。実際の土地よりも星を購入する方が現実的に思えるほどの地価の高騰を引き起こす再開発は、街そのものを非現実的なフィクションに変えている。展示空間の中の、黄色い看板を掲げて星を売る不動産屋と、購入できないほどに高騰した乙支路の不動産、どちらがフィクションだろうか。


筆者撮影


筆者撮影

 남소연(ナムソヨン)は、ナムソ研究所(アーティストの名前’Nam So Yeon’と研究所を表す’Yeon Gu So’を掛け合わせた造語である’Nam So Yeon Gu So’) を通じ、3D仮想空間と現実の間に相互作用的実践を生み出す。〈리얼타임/발굴게임〉관전하기(〈リアルタイム/発掘ゲーム〉観戦)では、仮想(フィクション)のEuljiro_OFの敷地内での発掘が行われる。小さな展示室の床には土が敷き詰められ、観客は「観戦者」として土の匂いを感じながら、発掘の様子を見守る。作品タイトルにあるように、仮想空間での時間はリアルタイムで経過し、ランニングタイムは展覧会の合計開場時間と一致する。例えば、13:00にこの作品を10分間鑑賞した観客は、仮想空間で13:00から13:10まで行われた発掘作業を「観戦」することになる。無論、歴史的遺物が発掘されれば、開発は一時中断されるだろう。先述の通り、Euljiro_OFが位置するエリアは再開発の真っ只中だ。Euljiro_OFからの帰り道、すでに工事が始まっている現場を複数見かけた。再開発の波は、Euljiro_OFにもほぼ確実に訪れつつある。奇妙なリアルタイム発掘ゲームによって、仮想空間内でのフィクションが、確定的な未来のビジョンとともに現実世界に迫っていた。


筆者撮影

 ところで展示空間には(ほのかに土の香りがするナムソヨンの展示空間を除いて)、ふんわりと清潔感の溢れる甘い香りが漂っていた。ホイジェキュレーターは、この展覧会のタイトルにもなっている小説『伝奇集(픽션들 Ficciones)』の中の短編小説「Tlön, Uqbar, Orbis Tertius(トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス)」の(複雑な入れ子構造の設定の)架空の都市「トレーン」について言及する。トレーンの言語には名詞が存在せず、複数の形容詞を合わせて使うことで名詞の代わりの機能を果たす。展覧会リーフレットでは例として、月を「闇の中の丸く透き通るように明るい...」と表すと説明している。이영(イヨン)は、対象の事物に対して感じた複数の共感覚を集め、形容詞の集合体を再構成することで、「名詞=事物」という硬直的かつ固定的な関係を超越する。今回イヨンは、展示室のステンレスの窓枠を見て、その銀色の光と、Euljiro_OF周辺にある金属加工工場の匂いを嗅ぎ、巨大なステンレスの質感を持つ彫刻、giant cucumberを制作したのだそうだ。彫刻自体は、キュウリの形をしているが、材質はスチロールと石膏、彫刻の表面を覆うのはガムの包み紙である。この展示室は一番奥まった位置にあるため、観客が展示空間に漂う香りが、彫刻本体からではなく、展示室の壁面に置かれた「오이비누(きゅうり石鹸)3」のバーによるものだと気づくまでには、時間がかかるようになっている。アリストテレスは五感を、「視覚,聴覚,嗅覚,味覚,触覚」の順の序列に並べた。高位に行くほど「客観的」であり、低位に行くほど「主観的」になる並びである。近代において視覚は「客観的」な事象の把握に最も重大な役割を果たして来たとされる。しかしイヨンの作品では、嗅覚は視覚同様、対象を再構成する際の重要な要素となる。加えて、視覚がもたらす情報が高位ではなくなるどころか、ガムの包み紙で覆われた彫刻をステンレス製に錯覚させるトラップにすらなるのである。一般に、展示室で動員できるのは視覚、聴覚、嗅覚までだろう。しかし鑑賞中にスタッフが、「ガムを食べませんか?」と言いながら銀色の包み紙のガムを分けてくれた。筆者は、自分が味覚まで動員しながら再構成させようとしている、巨大なきゅうりという事物自体がそもそも滑稽なフィクションであることに、帰り道になってようやく気づいた。


筆者撮影


筆者撮影

 この展覧会をキュレーションした허지예(ホジイェ)は、ナムダヒョンが話した”사물이 거울에 보이는 것보다 가까이에 있음(事物が、鏡に見えるよりも近くにある)”という言葉がずっと頭に残っていたのだという。展覧会リーフレットのなかでホジイェは、凸面鏡で見える鏡像は、裸眼や平面の鏡で見える像とは異なるように、自身の中にある鏡を通して見る事物は画一ではないと述べる。我々は、眼球を通して取り入れた情報を脳内で再構成するが、その際に「見て」いる像は、凸面鏡のなかの鏡像のようにどこか歪で、その歪み方も人それぞれだ。複数人が同じ事物を囲んで見ていても、それぞれの像は決して画一たり得ない。我々は、脳内に再構成されたそれぞれのフィクションを見ているに過ぎないのだ。

 乙支路の再開発をめぐり、ボルヘス的な存在論に「仮想空間」を組み合わせた展覧会”픽션들 Ficciones”。ナムダヒョンは非現実的な価格のソウルの地価という現実を、フィクションの世界に連れ戻した。ナムソヨンは仮想空間というフィクションの中で、未来の乙支路に迫る現実を浮かび上がらせた。イヨンは、乙支路の形容詞の集合体を巨大なきゅうりというフィクションに集合させて再構築した。接近性の高い鑑賞体験に加え、再開発地域に位置しているという場所性への強い意識もまた新生空間の特徴であると筆者は考える。今回の展示では、そうした特徴が前面に出ているように感じられた。


 COVID-19により次第に「非日常」になっていった2020年当時、筆者はソウルで国立の美術館での展示に少々携わっていたこともあり、美術館をはじめさまざまな国立の施設が政府の方針で臨時閉館と開館を繰り返し、ホームページでVR展示へと観客を誘導している様子を日々チェックしていた。無論VR展示は地理的な制約をはじめ、さまざまな障壁を軽々と乗り越えて潜在的な観客を増やすなど、さまざまな可能性も持つ一方、失われゆく鑑賞体験の身体性を無批判に受け入れて良いものかという議論も巻き起こった。そんな中、徐々にフィジカルな活動を取り戻していったのが新生空間であった。

 ナムダヒョンとナムソヨンの両者は、仮想空間というテクノロジーを扱いながら、それらを賛美するわけでも積極的に批判するわけでもない。もはや日常の一部と化したこのテクノロジーを、フィクションと現実を関連づけるツールとしてフラットに受け入れながら、乙支路に訪れる未来に思いを馳せるためのレイヤーとして用いている。彼らは仮想空間というフィクションを特定の場所と結びつけることで、現実世界のフィクション性を逆説的に提示すると同時に、展覧会に場所性を維持することに成功している。これは、極めて新生空間らしい仮想空間との向き合い方の提示である。

 それでは、作品に仮想空間を用いなかったイヨンがキュレーションされた意図は何か。視覚を基盤にした鑑賞は、認知の過程で脳内で再構成された虚像を挟み、事物との距離が生まれるため、ある意味最も「安全」な鑑賞であると言える。一方で、嗅覚は、実際に鼻腔を通じて体内に入ってきた事物の微粒子をベースにした知覚であり、その過程は身体への強烈なアプローチである。イヨンの作品は、乙支路の文脈を観客の体内に取り込ませ、身体的鑑賞のなんたるかを観客に突きつける。Euljiro_OFの接近性の高さは、単純な運営形態にとどまらない。イヨンの作品によって鑑賞者は、仮想空間の並行世界を通じて乙支路の未来を想像しつつも、乙支路をめぐる身体的な鑑賞を同時に成立させることができるのだ。

 今回の展覧会ではフィクションというテーマのもと、避けられない二つの未来、すなわち仮想空間の拡大と、乙支路のジェントリフィケーションに対し、仮想空間を扱いながらも現実の都市や鑑賞者自身の身体へと巧みに視線の回帰を促すというオルタナティブを提示している。Euljiro_OFは、再開発の波に晒されながら、フィクションと現実の狭間のどこかに浮遊している。




1. 오전석, 대안공간에서 신생공간으로, 한국예술종합학교신문, 2020(2022.11.1) 
2. 가삼로지을(gasamrojieul)は、Euljiro_OFから徒歩5分ほどのスペースで、Euljiro_OFと同様雑居ビルの中に位置する小さな展示空間だった。가삼로지을という空間名は、後ろから読むと을지로삼가(乙支路三街)となる言葉遊びである。
3.  きゅうり石鹸は、韓国では兵役中に支給される石鹸として知られている。この香りを嗅いで、兵役中の記憶を思い出す来場者も少なくないだろう。




 



 Sato Koyuri






Koyuri is a master student in the Department of the Arts Studies and Curatorial Practices,
Graduate School of Global Arts, Tokyo University of the Arts. From next year, she will be enrolled in the MA Culture, Criticism and Curation course at Central Saint Martins, University of the Arts London. She graduated with a bachelor’s degree from Keio University, Faculty of Letters, and now she is a Student Curatorial Staff at Keio Museum Commons. While on her exchange program at Yonsei University in Seoul, she supported a remote installation of "2020 MMCA Asia Project: Looking for Another Family” etc...
She specializes in modern and contemporary Korean art, and her master's thesis will be on the (un)sustainability of alternative spaces in Seoul.








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